村の集会所では、大人たちが集まり話し合いが行われていた。
川向こうの森を整備し、キャンプ場をつくるという計画が持ち上がっていた。山の麓の森で川のある立地が、キャンプ場には最適なのだと。
だがそのためには、木々を伐採し整地し、ログハウスや駐車場を作らねばならない。森は大きく姿を変えることになる。
村の人々は、先祖代々受け継がれてきた自然を守るべきか、時代に合わせて村も変わるべきかで悩んでいた。
「せっかくいい土地の利用法があるんじゃから、やるべきじゃねぇか! 業者が言ってたで。あの森にキャンプ場ができりゃ、ぜってぇ客が来るって!」
この意見には、皆が内心同意していた。黒沼の森なら、たとえ整地され半分に削られようとも、さぞやすばらしいキャンプ場になるだろう。
したたる緑。清らかな水。どこまでも透き通る空気。少々遠くても、無理をしてでも、やって来る価値は充分ある。
「いいや、なんねえ! あそこに手ぇ出しちゃなんねえ!! 黒沼は神サマの土地なんじゃ。わしら、人のものじゃねえんじゃ!!」
桜大の祖母が叫んだ。
「ご隠居。頼むから神サマだのなんだの言うのは、やめてくれんか。今どきそんな理由じゃ通用せんて。
ヨシさん、あんたからも言っとくれや。業者や町議になんと言う? 神サマの森に手ぇ出したらタタリがあるで、開発はできんと?」
皆の間から、低く笑い声がもれた。
開発推進派のリーダーである桜大の父は、実の母と向き合いながらも、口を開けないでいた。
確かに、黒沼は神秘的な場所だとは思う。しかし、神だのタタリだのは信じられない。
そんなものは、思い込みか偶然だ。村の将来のため、桜大ら子どもたちの未来のためには、暮らしの発展こそが大事なのだ。
だから開発推進派のリーダーを請け負った。
それなのに、この期に及んで、父は何かを捨てきれずにいた。
だが、それがなんなのかわからない。父は、それを振り切ろうとした。その時―――
「あんたあ! あんたあぁ!!」
集会所に、真っ青な顔で飛び込んできたのは、桜大の母だった。
「桜大が……桜大がいなくなったよお!!」
「な、なにィ!?」
祖母が、母につめよった。
「桜大は薬を飲んどるで、朝まで起きんはずじゃ!」
「そうじゃけど…そうじゃけど…気がついたらおらんかった!」
寝間の隣にいた母がふと気付くと、閉めていたはずの障子が、全開にあいていた。
不思議に思って寝間へはいると、蚊帳の中の布団がきれいにめくれていて、そこに桜大の姿はなかった。
何も言わずに、音もたてずに、桜大は消えた。
「どっかに行ったんじゃ! 小便か…腹がへったから台所とか…よう探したんか!!」
「探した! 今もみんなが探してくれとる! でも見つからん!!」
「見つからんわけねえ!! きっと、どっかで倒れとるんじゃ。集会は中止じゃ! みんな、桜大を探してくれ!!」
濃紺の夜空の下。村中に灯りと呼び声が飛び交った。だが、村のどこにも桜大はいなかった。
せまい場所は子どもらが探した。
小川もかなり下流まで探した。それでも桜大は見つからない。
おかしい。どう考えても、これはおかしい。村人たちは皆、妙な胸騒ぎをおぼえていた。
夜中を過ぎて、駐在が桜大の父に言った。
「ヨシさん。こりゃあ県警の応援を頼まにゃならんぞ」
そこへ、祖母が近づいてきた。
「おばあ……」
祖母は、静かに言った。
「黒沼へ行ってみるんじゃ」
キツネ面の子どもに手をひかれ、夜闇の木立をぬけると、桜大は色とりどりの提灯の灯りに万華鏡のように彩られた広場に出た。
「わあ……!!」
櫓のまわりを、面をつけた人々が幾重にも輪となって取り巻き、楽しげに踊っている。
祭囃子にあわせ、右に左に波打つ華やかな着物の群れ。幻想的な灯りの下に揺れる、さまざまな仮面の姿をながめるだけで、桜大はうっとりとした。
キツネにタヌキ、天狗を模した面や、目玉が飛び出たもの、牙がはえたものなど、見たこともない変わった面ばかりだけれど、皆、桜大を見ると会釈し、手招きした。
小さな胸にこがれ続けた念願の祭り。とうとう来られたのだと思うと、桜大は舞い上がらんばかりだった。
キツネ面の子が、水飴をくれた。割り箸の先にくっついた透明な塊をなめると、なんともいえないやさしい甘さが口いっぱいに広がって、体中がとろけそうな気がした。
「踊ろう、桜大!」
「うん! 踊ろう!!」
桜大は仮面の群れに飛び込むと、見よう見まねで踊り始めた。うれしくて、楽しくて、まるで夢の中のようだった。
ピーヒャラドンドン ピーヒャラララ ピーヒャラララ
「桜大」
「桜大!!」
父と母が、桜大をのぞきこんでいた。
桜大は、目をパチクリさせた。自宅の寝間だった。
「桜大。どっか痛くねぇか? 苦しくねえか?」
母は涙声だった。桜大は首をふった。
「ううん。どっこも悪くねえ。腹へった」
「そ、そうか。なんか持ってくるから」
母は、涙を拭きながら台所へ立った。
桜大は、体を起こしてキョロキョロした。ああ、祭りは終わってしまったのだなと感じて、少し淋しくなった。
父が、なんとも複雑な顔をして桜大を見ている。ひょっとして、夕べ祭りに行ったことを怒っているのだろうかと思ったが、確か母の許可は得ていたはずだ。
桜大のかたわらにじっと座っていた祖母が、やさしく尋ねてきた。
「桜大、夕べは楽しかったか」
桜大の顔が、パッと輝いた。
「うん、楽しかった! おれ、いっぱい踊ったぞ、おばあ! みんなと踊ったぞ!!」
父は、桜大の言葉に顔をひきつらせた。
「祭りは、どんなだった」
「きれいだった。赤、青、黄色、緑……いっぱいの色の提灯が、いーっぱいぶらさがってて、夜店が……あれ、夜店はあったかの? でも水飴食うたし……」
「人は、たくさんおったか」
「おった。みんな、お面をつけとった。踊りはお面をつけて踊るんじゃな。知らんかった」
「どんなお面じゃった」
「おもしろいお面ばっかりじゃ。キツネとか天狗とか。口が、こーんなにでっかいやつとか、角のはえたやつとか。アレ、おれも欲しいなぁ」
父が、桜大の肩をぐっとつかんだ。その手はぶるぶると震えていた。
「桜大。そりゃ……そりゃ、本当に“人”だったんか?」
「?」
桜大は、父の問う意味がわからず小首をかしげた。
その無心の目を見たとたん、父は、桜大の小さな肩にかけた手から、力が抜けていくのを感じた。
「……楽しかったんか」
桜大は、大きく大きく頷いた。
「楽しかった! また行きたい。また行くぞ! ええじゃろ、お父。なっ、なっ!」
父は目を閉じ、頭を垂れた。
「そうか……。楽しかったんか。そうか―――……」
黒沼へ行ってみる―――。祖母のこの言葉を、この時は誰も理解できなかった。
夜、子どもが一人で、あんな場所へ行けるわけがない。誰もが祖母の正気を疑った。
しかし、これだけ探しても桜大が見つからぬ以上、こうなればしらみつぶしだと、桜大の父を先頭に、若い衆が黒沼へと向かった。
真っ暗な森の中を、藪の中を、蛇よけの棒で探りつつ一行は汗だくで進んだ。
深い木立が急にぽかりと開ける。まるで、いつも使われている広場のような、
下草もまばらな空間。猫の爪のように細い三日月の、わずかな明かりに照らされて、桜大がそこにいた。
「お……桜大!?」
その異様な光景に、大人たちは棒立ちになった。
桜大は、暗闇の中たった一人で、くるくると踊っていた。
それは楽しげにニコニコと笑いながら。あたかも、見えない群舞の舞い手の一人のように。聞こえない囃子の音にのるかのように体を揺らす。右に左に。右に左に。
「桜大!!」
父がやっと我に返り、桜大に飛びついた。
その腕の中にかくんと倒れこむと、桜大はすぅすぅと寝息をたてて眠ってしまった。笑顔のまま。
大人たちは言葉もなかった。これを、単なる夢遊病だと言える者は、一人もいなかった。
桜大の父は、黒沼開発側のリーダーを黙って退いた。誰もその理由を問わなかった。
キャンプ場の話は間もなく立ち消え、代わりに、農村留学の話が舞い込んできた。村役場では、この話をすすめてゆくつもりらしい。
その後。桜大は体調も元に戻り、今日も元気に近所の子どもたちと遊んでいる。
子どもたちは桜代の体験した話をききたがったが、不思議とその記憶は急速に薄れていき、今ではほとんど何も思い出せなくなっていた。
桜大は、そのことをちょっと残念に思っている。